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平田文男(教授) 分子研リポート1999 | 分子科学研究所

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(1)

分子基礎理論第四研究部門

平 田 文 男(教授)

A -1)専門領域:理論化学、溶液化学

A -2)研究課題

a) 溶液内分子の電子状態に対する溶媒効果と化学反応の理論 b) 溶液中の集団的密度揺らぎと非平衡化学過程

c) 生体高分子の溶媒和構造の安定性に関する研究 d) 電極の原子配列を考慮した電極−溶液界面の統計力学

A -3)研究活動の概略と主な成果

a) 溶液内分子の電子状態に対する溶媒効果と化学反応の理論

溶液中に存在する分子の電子状態は溶媒からの反作用場を受けて気相中とは大きく異なり,従って,分子の反応 性も違ってくる。われわれは以前にこの反作用場を液体の積分方程式理論によって決定する方法(RISM−SCF法) を提案している。この理論を使って1999年度に行った研究の主な成果を以下にまとめる。

(i) 水溶液中のハロゲン水素の酸−塩基平衡

水溶液中のハロゲン化水素のうち HC l,HB r,HI はいずれも強い酸性を示すのに対して,HF は弱酸性を示す。 これらのハロゲンのうちでフッ素の電気陰性度が最大であることを考慮するとこのふるまいは直感と非常に食 い違っており,量子化学のチャレンジングな問題として早くから理論家の注目を集めた問題である。(L . Pauling もその名著「Nature of Chemical Bond」の appendix の中で議論している。この問題を解くカギは「溶媒効果」 考慮することであり,Pauling は溶液中では HF の非解離状態が解離状態よりも低い自由エネルギーをもつこと を溶媒和自由エネルギーの実験データを使って示した。しかしながら,Pauling の解析は現象論であるため,HF の非解離状態が何故解離状態より安定であるかという問題に関する分子レベルでの解答は与えない。われわれ はRISM−SCF理論に基づく解析により実際に HF が弱酸性であることを定性的に示すとともに,HF の非解離 状態が安定である理由として,他のハロゲン化水素がひとつのタイプの水素結合(H2O----H-X )しか形成しな いに対して,フッ化水素は水分子と(H2O----H-F )および(HF ----H-O-H)のふたつのタイプの水素結合を形成 するからであることを明らかにした。[J. Am. Chem. Soc. 121, 2460 (1999) に既報]

(ii) 超臨界状態を含む広い温度,密度範囲における水とその自己解離

水溶液が中性であることを示す pH = 7 は,水の自己解離反応に於けるイオン積(pK w)が 14 であることに由 来する。この pK w は温度・圧力に依存して変化することが知られているが,その機構を説明するためには,自 己解離反応と熱力学状態の関係を明らかにする必要がある。ところが,これは化学反応と溶媒効果が複雑に絡 まり合った問題であり,これまで現象論的でさえも説明することが出来なかった。我々はRISM−SCF理論に 基づく解析により広い温度・密度領域に於ける pK w 変化を再現することに成功し,その分子論的描像を明らか にした。すなわち,密度変化については溶媒和効果が,温度変化については分子の電子分極と溶媒和の効果が それぞれ大きな役割を果たしていることを見いだした。[J. Phys. Chem. B 103, 6596 (1999) に既報]

一方,水を特徴付けるもう一つの重要な側面として,水素結合によるネットワーク構造を挙げることが出来る。

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しかし広い温度・密度領域に於ては,上記の例からも明らかな様に水分子の電子分極が重要となり,既存の理 論では信頼に足る解析が不可能である。我々は非経験的電子状態理論とRISMを組み合わせた理論を用いて,温 度・密度変化に対する液体構造の変化を分子論的に明らかにした。水は常圧付近ではよく発達した水素結合性 の構造を有しているが,低密度になるとこれは徐々に崩壊してくる。一方で高密度側ではパッキング構造が支 配的になっていることが分かった。温度の上昇も水素結合を弱めることが分かり,常温・常圧の水は,これら のバランスの上に水素結合性の構造を保っていることが分かった。[J. Chem. Phys. 111, 8545 (1999) に既報] (iii) 水および超臨界水中での D iels-A lder 反応

超臨界水を溶媒に用いた有機反応は反応物以外の有機物質を必要としないため環境への影響も最小限に抑えら れ,環境調和型の工業化学として期待されている。なかでも D iels-A lder 反応は,水溶媒中で反応速度が劇的に 増加することが知られている付加環化反応であるが,溶媒である水を超臨界条件にすることによって反応収率 が極めて高くなり,反応速度も水中に比べてさらに増加するという実験結果が最近報告された。本研究ではこ の問題を取り上げ R IS M-S C F に基づく解析を行った結果以下の結論を得た。

(iii-a) 水中の反応速度は気相中に比べて劇的に増加する。その増加の主な要因は疎水相互作用によって活性化 エネルギーが減少するからである。

(iii-b)  超臨界水中の反応速度も水中に比べてさらに増加するが,その主な要因は温度上昇に伴う熱運動の増加 によるものであり,水中のそれとは物理的本質において異なっている。

(iii-c) 超臨界水中では水中に比べて反応収率が大きく増加するが,その理由は溶媒の極性が下がったために反 応物質の溶解度が増加したことによる。[Y. HARANO, H. SATO and F. HIRATA, J. Am. Chem. Soc. に印刷中] b)溶液中の集団的密度揺らぎと非平衡化学過程

われわれは昨年までの研究において,液体の非平衡過程を記述する上で相互作用点モデルが有効であることを示 し,そのモデルによって液体中の集団的密度揺らぎ(集団励起)を取り出す方法を提案してきた。さらに,その 理論に基づき溶液内の化学種のダイナミックス(位置の移動,電子状態,構造変化)をそれらの変化に対する溶 媒の集団的密度揺らぎの応答として記述する理論を展開しつつある。この分野の研究成果は以下の諸点にまとめ られる。

(i) 液体の相互作用点モデルに基づく水のダイナミックス理論

水のダイナミックスに関して注目を集めている重要な問題のひとつはいわゆる「速い音響モード」の帰属に関 わるものである。これは T eixeira らが中性子散乱スペクトルのレーリーピークに現れたショルダーの解釈論と して,毎秒 1500 m程度の音速をもつ通常の音波の他にその2倍程度の位相速度をもつ音響モードが存在すると 示唆したことに端を発する。このショルダーの帰属をめぐる物理的解釈がふたつに分れている。ひとつはこれ を水中に存在する水素結合ネットワークを伝わる音波に起因するとみなす解釈,他は波数ベクトルの増加に伴 う粘弾性的な正の速度分散が原因であるとみなす解釈である。

われわれは昨年度までに発展させてきた理論により水中の集団的密度揺らぎ(集団励起)を音響モードとふた つの光学モードに分解し,それらのモードの分散関係(周波数と波数ベクトルの間の関係)を解析することに より,このモードの物理的本質を解明することを試みた。[詳細はS. CHONG and F. HIRATA, J. Chem. Phys. 111, 3083; 3095 (1999) に既報]

(ii) 水中のイオンのダイナミックス

水中のイオンに働く摩擦抵抗はいわゆる古典的なストークス−アインシュタイン則がブレークダウンする典型

(3)

的なケースとして20世紀初頭以来 M. B orn や L . Onsager など著名な物理学者が挑戦を繰り返してきた問題であ る。ストークス−アインシュタイン則によればイオンに働く摩擦抵抗は L i

+

< Na

+

< K

+

< R b

+

< C s

+

のように イオン半径とともに増加しなければならないが,実験結果は全く逆に L i

+

> Na

+

> K

+

> R b

+

> C s

+

の順序にな る。イオンの抵抗係数に関するストークス−アインシュタイン則のブレークダウンを説明するモデルのひとつ はいわゆるいわゆる「溶媒和イオン」モデルであり,溶媒和したイオンの実効的ストークス半径が(裸の)イ オンサイズの増加とともに減少することにより上に述べた抵抗係数のイオンサイズ依存性を説明する。もうひ とつのモデルはいわゆる「誘電摩擦」の概念に基礎をおくものであり,イオンサイズの増加とともに「誘電摩 擦」が減少することを物理的根拠とする。過去におけるこれらのモデルは流体力学や誘電体論などの現象論に 基づいておりその分子レベルでの物理的意味やお互いの関係が不明確であった。我々は本研究で一般化ランジェ ヴァン方程式,RISM理論およびモードカップリング理論を組み合わせて,水中のイオンに作用する摩擦抵抗 およびイオンの速度相関関数を解析した。その結果,以下の諸点を明らかにした。

(ii-a) 水中のイオンに作用する摩擦抵抗ζ はイオン半径Rの増加とともに一端減少し,極小を通って増加に転 じる。この一般的振る舞いに関しては単純な極性溶媒中のそれと定性的に一致している。

(ii-b) 水が溶媒であることに起因する重要な特徴のひとつはカチオンとアニオンの(ζ vs. R)‐ プロットが異 なる曲線を描くことである。これは水分子の電荷分布の非対称性がその物理的原因である。

(ii-c) イオンに働く溶媒の摩擦抵抗をイオン−溶媒間相互作用に対する溶媒の集団励起の応答として記述した。 その結果,現象論の「ストークス抵抗」はイオン−溶媒間の短距離相互作用に対する溶媒の音響モードの応答 に,また誘電摩擦はクーロン相互作用に対する光学モードの応答に,それぞれ対応することを明らかにした。さ らに興味深いことはこの「ストークス抵抗」に対応する寄与自身イオンサイズの増加とともに一端減少し,極 小を通って増加に転じる一般的特徴を示した。この結果は小さなイオンでは実効的イオン半径を増加させるよ うな「溶媒和クラスター」が存在することを示唆している。

(ii-d) 小さなイオン(Li+,F)の速度相関関数はサブピコ秒持続する顕著な振動構造を示し,その振動はイオ

ンサイズ増加とともに消失する。このことは小さなイオンでは振動を支持する「溶媒和クラスター」が形成さ れていることを強く示唆しており,「ストークス抵抗」に関して上に述べた結果と符合している。[S. CHONG and F. HIRATA, J. Chem. Phys. 111, 3654-3667 (1999) に既報]

c) 生体高分子の溶媒和構造の安定性に関する研究

本研究の最終目的は第一原理すなわち分子間相互作用に関する情報のみから出発して蛋白質の立体構造を予測す ることである。蛋白質の立体構造予測(すなわちフォールディング)には二つの要素がある。そのひとつは広い 構造空間をサンプルするための効果的なアルゴリズムであり,他は蛋白質の構造安定性を評価する問題である。 蛋白質の安定性はそれが置かれている環境すなわち熱力学的条件によって完全に規定される。この熱力学的条件 には溶媒の化学組成(溶媒の種類および共存溶質の濃度),温度,圧力などが含まれる。本プロジェクト「溶媒班」 は蛋白質の構造安定性に対して熱力学的条件が与える影響を分子レベルで明らかにする目的で,その素過程とし て,アミノ酸やペプチドおよび疎水分子の水和現象を分子性液体の統計力学(RISM理論)に基づき解析してい る。これらの解析は蛋白質の安定性に関わる物理的要因を分子レベルで解明するだけでなく,今後,蛋白質の フォールディングを実際に実行するうえで重要となる溶媒和自由エネルギーを計算するための方法論的基礎を与 えるものである。

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(i) ペプチド構造の安定性に対する溶媒の影響

Goto らの実験によると水ーアルコール混合溶媒中の C - ペプチド(10個のアミノ酸からなるペプチド)はアル コールの濃度を増加させるとランダムな構造からα - ヘリックス に転移する。アルコール濃度による蛋白質や ペプチドの構造転移は狂牛病の原因として注目されているプリオンの構造転移と類似しており,蛋白質の構造 安定性に対する溶媒環境の重要性を示す顕著な例である。

われわれは本研究において水,メタノール,およびエタノール中の二つのペプチド(エンケファリン,C - ペプ チド)の溶媒和自由エネルギーをRISM理論を使って解析した結果,以下の諸点が明らかになった。

(i-a)  アルコール中では水中にくらべて,溶媒和自由エネルギーが低く(より安定),ペプチドの構造変化に伴 うその変化が小さい。そして,その傾向はアルキル鎖の長さとともに顕著になる。

(i-b) このような水とアルコールの違いはアルコールが水に比べてはるかに数密度が小さいためにいわゆる空 孔形成に要する自由エネルギーが小さくて済むこと,およびアルコールが両親媒性の分子であるためペプチド の疎水部位や親水部位の双方にうまく溶媒和できることから出てくる。

(i-c)  以上の結果から,水中では溶媒和自由エネルギーの変化がペプチド内の原子間相互作用エネルギー(主と して分子内水素結合)のそれに比べて大きく,ペプチドの構造安定性は溶媒和エネルギーによって支配される。 一方,アルコール中では溶媒和自由エネルギーの寄与が小さくなり,分子内水素結合を含む構造エネルギーに よってペプチドの安定性が支配されるようになり,その傾向はアルコールのアルキル鎖が長くなるほど顕著に なる。

以上のことから,上記の後藤らの実験における C - ペプチドの構造変化はアルコール濃度の増加に伴いペプチド 内水素結合に比して溶媒効果の寄与が減少したことによって説明することができる。[M. KINOSHITA, Y. OKAMOTO and F. HIRATA, J. Am. Chem. Soc. に投稿中]

(ii) ペプチドの安定性に対する塩効果

蛋白質を溶液中から析出させるために最も古くから使われている方法に塩の添加があげられる。これはイオン が蛋白質の水に対する溶解度を下げる(塩析)効果を利用したもので,その効果の大きさは Hofmeister 順列と して知られる次ぎの規則に従っている。

S O4

2–> C H3C OO> C l> B r> NO3

> C lO4

> I> C NS

(C H3)4N

+

> NH4 +

> R b

+

,K

+

,Na

+

,C s

+

> L i

+

> Mg

2+

> C a

2+

> B a

2+

上の不等号は塩効果の大きさを示し,左に行くほど蛋白質の溶解度が減少し,その天然構造を安定化する。重 要なことはこの順列が蛋白質に限らず,非常に多くの物質の水への溶解度を規定する一般性の高い規則である ことである。それ故,小さなペプチドに対する塩効果を分子レベルで解析すれば,蛋白質に関するその効果の 物理的本質を明らかにできる可能性がある。蛋白質は,通常の実験条件下では,緩衝溶液などイオン溶液中に 存在しているので,蛋白質の構造変化(フォールデイング)を調べる上でも,その基本的熱力学条件のひとつ として,塩効果を明らかにしておく必要がある。蛋白質の構造安定性に対する塩効果に関して,後藤らによっ て次ぎのような疑問が提出されている。通常,蛋白質やペプチドは正,負の解離基や部分電荷をもっていて,こ れらの電荷とイオンとの静電相互作用は蛋白質などの自由エネルギーに大きな寄与をする。後藤らの実験結果 によると,そのような塩効果は必ずしも H ofmei ster 順列に従わない。それでは,一体,どのような塩効果が Hofmeister 順列に関係しているのだろうか?

本研究では水溶液中のペプチド(acetylglycine ethyl ester)の安定性に対するアルカリ金属イオン(L i

+

,Na

+

,K

+

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および塩化物イオン(C l,B r,I)の効果をRISM理論に基づき解析した結果,以下の結論が得られた。 (ii-a) 水溶液中の溶質に対する塩効果は,主として溶質−イオン間の直接的な相互作用に起因する項とイオン による溶媒の再配置を通して効いてくる項の二つ効果のバランスによって決定される。

(ii-b) アニオンの場合,溶媒の再配置からの寄与が支配的であり,それが Hofmeister 順列を決定している。 (ii-c) カチオンでは,両者の寄与が拮抗しているため,両者のバランスによって Hofmeister 順列が決定されて いる。[T. IMAI, M. KINOSHITA and F. HIRATA, Bull. Chem. Soc. Jpn. に投稿中]

(iii) 生体分子の安定性に対する圧力効果(アミノ酸の部分モル容積)

生体分子の安定性に影響を及ぼす変数のひとつに圧力があげられる。以下の熱力学関係式により,溶媒中の溶 質の圧力に対する応答を反映するのは部分モル容積であるから,生体分子の部分モル容積を解析することによ り,その構造安定性に対する圧力の影響を調べることができる。

ln K

P

V

= − ∆RT

E dsal による古典的な研究以来,生体分子の部分モル容積に関する数多くの実験研究が行われてきたが,理論的 研究,特に,統計力学に基づく分子レベルでの研究は極めて限定されている。とりわけ,複雑な幾何形状と電 荷分布をもつアミノ酸,ペプチド,蛋白質などのリアルな生体分子に関する理論は皆無といっても過言ではな い。

本研究では,K irkwood-B uff の溶液論とRISM理論を結合することにより,生体分子に適用可能な部分モル容積 の理論式を導出し,その理論に基づき天然に存在する20個のアミノ酸の部分モル容積の解析を行った。この解 析の結果は以下のとおりである。

(iii-a) アミノ酸の C - 末端,N- 末端基の解離による部分モル容積への寄与は–3.2 cm3/mol から –9.7 cm3/mol の 範囲でアミノ酸の種類により異なる。

(iii-b) アミノ酸残基の解離の寄与は–3.0 cm3/mol から –6.0 cm3/mol の範囲で,やはり負の寄与をする。 ( iii-c) これらに対して,極性残基の体積に対する寄与は小さく,多くの場合,正の寄与をする。

(iii-d) 同じ原子団(例えば,メチレン基やアミド基)からの体積に対する寄与はアミノ酸の種類やその原子団 が置かれているアミノ酸内の位置によって大きく異なる。従来,実験家はペプチドや蛋白質の部分モル容積を 見積もるために,原子団からの寄与の重ね合わせによる経験的な方法を用いてきたが,本研究の結果はそのよ うな方法に全く理論的根拠がないことを示している。

(iii-e) アミノ酸の部分モル容積をその分子量に対してプロットすると実験データとの間で系統的な偏差を生じ, その偏差はアミノ酸中の原子数(N)および温度に比例するという結果が得られた。この偏差に関してわれわれ は次ぎの仮説を提唱した。溶媒中に1モルの理想気体を導入すると,溶媒の体積は(圧縮率× R T :R ,気体定 数)だけ増加する。理想気体と溶媒は相互作用しないので,この体積増加は溶質−溶媒間の相互作用によるも のではなく,理想気体がその自由度を増やそうとすることに起因するエントロピー的な効果であり,いわゆる, 浸透圧と同じ物理的要因に基づく。ところで,溶媒中にアミノ酸のような多原子分子を導入するとき,この理 想体積項がどのような寄与をするかは必ずしも自明ではない。何故なら,1モルの分子はもしその中の原子が 独立に運動すると仮定すれば,理想体積に対してN(原子数)モルだけの寄与をするからである。実際の分子 は大きくなればなるほど分子内自由度が大きくなり,その揺らぎによって理想体積に相当の寄与をすることが 予想される。また,同様の理由で揺らぎは温度に比例して増大する。一方,われわれの理論では分子は剛体(分

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子内の自由度はデルタ関数的に束縛されている)であるから,その重心の自由度からの理想体積への寄与しか 許容されていない。このため,原子数と温度に比例する理想体積項だけの偏差が理論と実験との間で生じたも のと考えられる。[T. IMAI, M. KINOSHITA and F. HIRATA, J. Chem. Phys. に投稿中]

(iv) 疎水水和自由エネルギーの評価

疎水性は蛋白質の天然構造を安定化する要因のひとつであると考えられている。この疎水性を理論的に研究す るためのモデル物質として従来より希ガスや小さなアルカンのような非極性の低分子が使われてきたが,これ らの分子の水に対する溶解度は直感と反する異常な振るまいを示すことが実験的に知られている。すなわち,直 感的には疎水性分子の水に対する溶解度はそのサイズとともに減少すると予想されるが,希ガスの場合それは He < Ne < A r < K r < X e のように逆に増加し,また,アルカンの系列の場合,メタン<エタン>プロパン> ブタン>ペンタンのようにエタンで極大となる。非極性分子の溶解度のこのような振るまいは溶質の導入に伴 う溶媒の再配置エネルギーおよび溶質−溶媒間相互作用の詳細な関係によって決定されており,実験結果を理 論的に再現することは極めて難しく,分子シミュレーションの結果も必ずしもコンシステントにはなっていな い。我々がこれまで発展させてきたRISM理論もこの振るまいを説明することはできず,RISM理論の最も大き な困難のひとつと看做されてきた。本研究ではこのようなRISM理論の困難を解決するひとつの方法を提案し, 低分子の水に対する溶解度の実験結果を定性的に再現する結果を得た。[A. KOVALENKO and F. HIRATA, J. Chem. Phys. に投稿中]

d)電極の電子配列を考慮した電極−溶液界面の統計力学

電極表面での電子移動などいわゆる電極反応においては金属表面の構造(原子配列や電子状態)と溶液相の構造

(水の構造やイオンの分布など)が重要な役割を演じる。われわれは昨年度までの研究において,金属表面と溶液 相の両方を原子レベルで取り扱う統計力学理論を提案し,その理論に基づき金属表面の電荷や原子配列を変化さ せて表面の水の分布および配向を求めた結果,赤外反射分光法で得られた結果と基本的に一致する描像を得た。さ らに,3次元に拡張したRISM理論を K ohn-S ham 密度汎関数法と組み合わせることによって電極表面の電子状態 を考慮する理論の開発を行った。[A. KOVALENKO and F. HIRATA, J. Chem. Phys. 110, 10095-10112 (1999) に既 報]

本年度はこれらの成果を基礎に電極−溶液界面における電子移動反応の問題への取組を始めた。溶液中の電子移 動反応は溶媒の電気的分極の熱揺らぎによって駆動される。この電気分極の揺らぎを規定するのはいわゆるMacus の自由エネルギー曲面であり,われわれは以前に R IS M 理論に基づきこの自由エネルギー曲面を求める一般的な 方法を提案している。[S. CHONG, S. MIURA, G. BASU and F. HIRATA, J. Phys. Chem. 99, 10526 (1995)]この理論 によれば電気分極の揺らぎは仮想電荷に対する溶媒の電気的応答によって模擬することができ,その応答関数の ふるまいから揺らぎの性質に関する知見を得ることができる。本研究では溶液中のイオンから電極に移動した電 子が移動後に一個の金属原子上に局在する場合,および全原子上に均一に非局在化する場合のふたつの場合に関 して解析を行った。その結果,電子が非局在化した場合は電子分布の非対称性に起因する分極の非線形揺らぎが 強く現れるが,局在化した場合はその非線形性が消失することが明らかになった。さらに,この研究においてイ オンの電場に対する溶媒の分極応答をイオンの水和に関する1957年モデルに基づき理解する新しい解釈論を確立 した。[R. AKIYAMA, M. KINOSHITA and F. HIRATA, Chem. Phys. Lett. 305, 251-257 (1999) に既報]

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B -1) 学術論文

T. ISHIDA, F. HIRATA and S. KATO, “Thermodynamics analysis of the solvent effect on tautomerization of acetylacetone: An ab initio approach,” J. Chem. Phys. 110, 3938-3945 (1999).

K. NAKA, H. SATO, A. MORITA, F. HIRATA and S. KATO, “RISM-SCF study for the free energy profile of Menshutkin type reaction NH3 + CH3Cl NH3CH3+ + Cl in aqueous solution,” Theor. Chem. Acc. (Fukui issue) 102, 1-6; 165-169, (1999).

H. SATO and F. HIRATA, “The syn-/anti- conformational equilibrium of acetic acid in water studied by the RISM-SCF/ MCSCF method,” THEOCHEM (Morokuma issue) 461-462, 113-120 (1999).

A. KOVALENKO, S. TEN-NO and F. HIRATA, “Acceleration of liquid structure calculations by modified direct inversion in the iterative subspace,” J. Comput. Chem. 20, 928-936 (1999).

M. KINOSHITA, Y. OKAMOTO and F. HIRATA, “Analysis on conformational stability of C-peptide of ribonuclease A in water using the reference interaction site model theory and Monte Carlo simulated annealing,” J. Chem. Phys. 110, 4090-4100 (1999).

H. SATO and F. HIRATA, “Revisiting the acid-base equilibrium in aqueous solutions of hydrogen halides: study by the ab inition electronic structure theory combined with the statistical mechanics of molecular liquids,” J. Am. Chem. Soc. 121, 2460- 3467 (1999).

A. KOVALENKO and F. HIRATA, “Self-consistent description of a metal-water interface by the Khon-Sham density functional theory and three-dimensional reference interaction site model,” J. Chem. Phys. 110, 10095-10112 (1999).

A. SETHIA, F. HIRATA and Y. SINGH, “Density matrix for an excess electron in a classical fluid. Results for a one dimensional system,” J. Chem. Phys. 110, 10086-10094 (1999).

F. HIRATA and S. CHONG, “Response to Comment on ‘Dynamics of Solvated ion in polar liquids: An interaction-site- model description’ [J. Chem. Phys. 110, 1833 (1999)],” J. Chem. Phys. 110, 1835-1836 (1999).

S. CHONG and F. HIRATA, “Dynamics of Ions in Liquid Water: An Interaction-Site-Model Description,” J. Chem. Phys. 111, 3654-3667 (1999).

S. CHONG and F. HIRATA, “Interaction-Site-Model Descritption of Collective Excitations in Liquid Water I: Theoretical Study,” J. Chem. Phys. 111, 3083-3094 (1999).

S. CHONG and F. HIRATA, “Interaction-Site-Model Descritption of Collective Excitations in Liquid Water II: Comparison with Simulation Results,” J. Chem. Phys. 111, 3095-3104 (1999).

H. SATO and F. HIRATA, “Ab initio Study on Molecular Properties and Thermodynamics of Water: A Theoretical Prediction of pKw over a Wide Range of Temperature and Density,” J. Phys. Chem. B 103, 6596-6604 (1999).

T. ISHIDA, F. HIRATA and S. KATO, “Solvation dynamics of benzonitrile excited state in polar solvents: A time-dependent reference interaction site model self-consistent field approach,” J. Chem. Phys. 110, 11423-11432 (1999).

R. AKIYAMA, M. KINOSHITA and F. HIRATA, “Free energy profiles of electron transfer at water-electrode interface studied by the reference interaction site model(RISM) theory,” Chem. Phys. Lett. 305, 251-257 (1999).

A. MITSUTAKE, M. IRISA, Y. OKAMOTO and F. HIRATA, “Classification of Low-Energy Conformation of Met- Enkephalin in the Gas Phase and in a Model Solvent Based on the Extended Scaled Particle Theory,” Bull. Chem. Soc. Jpn. 72, 1717-1729 (1999).

(8)

H. SATO and F. HIRATA, “ab initio study of water (II): liquid structure, electronic and thermodynamic properties over a wide range of temperature and density,” J. Chem. Phys. 111, 8545 (1999).

A. KOVALENKO and F. HIRATA, “Potential of mean force between two molecular ions in a polar molecular solvent: a study by the three-dimensional reference interaction site model,” J. Phys. Chem. B 103, 7942 (1999).

A. SETHIA, F. HIRATA, Y. TANIMURA and Y. SINGH, “Polaron Density Matrix and Effective Mass at Finte Temperature,” Phys. Rev. B 60, 7245-7251 (1999).

A. SETHIA, S. SANYAL and F. HIRATA, “Eigenstates from the Discretized Path Integrals,” Chem. Phys. Lett. 315, 299- 303 (1999).

B -3) 総説、著書

佐藤啓文、平田文男 , 「水の物性に見る量子化学的および古典統計的自由度の結合」, 日本物理学会誌 54, 696 (1999). F. HIRATA, H. SATO, S. TEN-NO and S. KATO, “RISM-SCF Study of Solvent Effect on Electronic Structure and Chemical Reaction in Solution: Temperature Dependence of pKw,” ACS symposium series “Combined Quantum Mechanical and Moleular Mechanical Methods,” J. Gao and M. A. Thompson, Eds. (1998).

B -4) 招待講演

F. HIRATA, “Collective density fluctuations in polar liqiuds and their response to ion dynamics,” The 8th Korea-Japan Joint Symposium on Molecular Science: on Molecular Spectroscopy & Theoretical Chemistry, Taejon (Korea), January 1999. F. HIRATA, “Equilibrium and non-equilibrium processes in solution studied by the RISM theory,” IMS International Workshop on Protein Stability and Folding, Okazaki (Japan), January 1999.

平田文男 , 「溶液化学の理論と応用」, 新化学発展協会・コンピュータケミストリー分科会講演会 , 東京 , 1999 年 3 月 .

平田文男 , 「電子状態と化学反応に対する溶媒効果」, 分子研研究会 , 岡崎 , 1999 年 5 月 .

F. HIRATA, “Molecular Processes in Solvation Dynamics,” 26th International Conference on Solution Chemistry, Fukuoka (Japan), July 1999.

F. HIRATA, “Equilibrium and Non-equilibrium Processes in Solution Described by Interaction-site Model of Molecular Liquids,” European Research Conference “Molecular Liquids: New Trends in the Study of Dynamical Properties,” San Feliu de Guixol (Spain), September 1999.

平田文男 , 「溶媒和の分子論:電子状態から蛋白質まで」, 分子構造総合討論会 , 大阪 , 1999 年 9 月 .

F. HIRATA, A. KOVALENKO and R. AKIYAMA, “Molecular Theory of Electrode-Solution Interface,” The 1999 Joint International Meeting of Electrochemical Societies of USA and Japan, Honolulu (USA), October 1999.

F. HIRATA, “Role of Solvent Induced Force on Protein Folding,” IMS Mini International Workshop on Protein Folding Simulation, October 1999.

佐藤啓文 , 「液体内分子の電子状態理論」, 大阪大学ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー若手研究会「凝縮系の 超高速ダイナミクスと光学過程」, 大阪 , 1999 年 11 月 .

(9)

B -6) 学会及び社会活動 学協会役員、委員

溶液化学研究会運営委員(1994-). 学会等組織委員

第 26 回溶液化学国際会議(1999 年 7 月,福岡)組織委員 .

同プレシンポジウム「Equilibrium and non-equilibrium theories in molecular liquids」,組織委員長 .

T he 8th K orea-J apan S ymposium on Molecular S cience: Molecular S pectroscopy and T heoretical C hemistry 組織委員 . 第 23 回溶液化学シンポジウム組織委員長 .

学術雑誌編集委員

「物性研究」各地編集委員(1996-).

Phys. Chem. Commun. Advisory Board メンバー .

C ) 研究活動の課題と展望

今後の研究活動の課題としては引き続き先に A -2)項に述べた四つの課題を追求する。同時に,溶液内化学反応の 速度に関する理論への取り組みを開始する。この理論は上記の四つの課題を結合して始めて達成し得るものであ る。その課題設定および展望を以下に述べる。

反応速度に対する溶媒効果として,大別すると二つが考えられる。ひとつは反応のエネルギープロファイルに及 ぼす影響であり,これはRISM−SCF法で反応系の溶媒和自由エネルギーおよび電子エネルギーを含む自由エネル ギー曲面を計算することにより求めることができる。もうひとつの効果は溶媒の動的揺らぎに関係しており,反 応の駆動力としての溶媒のランダムな力と反応の進行を抑える「力」としての抵抗力がその主な要素である。反 応速度の問題はこれらの要素を含む確率微分方程式を反応経路に沿って解くことに他ならない。溶液内化学反応 のこのような観点はクラマースによって確立されたものであるが,次の2点において古典的クラマース理論やそ の単純な拡張と異なる。(i) クラマース理論では反応経路およびそれに沿ったポテンシャルプロファイルを単純化 し2次曲線の重ね合わせで表現するのに対して,われわれは反応の自由エネルギー曲面をRISM−SCF法により求 め,その反応系から生成系に至る経路の中で自由エネルギーを極小とる経路を反応経路として選ぶ。(ii)クラマース 理論では本質的に現象論的なS moluchowski 方程式に基づいて解析するのに対して,われわれは反応座標を変数と してもつ一般化ランジェヴァン方程式を用いる。さらに,一般化ランジェヴァン方程式における抵抗力と揺動力 およびその関係(揺動散逸定理)は現象論的ではなく液体の統計力学に基づく分子論的表現を導入する。 われわれは平成11年度の課題研究において,溶液内化学反応に関する問題に取り組みいくつかの重要な成果を発 表した。そのひとつは溶液内の化学種の安定性および反応経路に関わるものである。その中には溶液内メンシュ トキン反応(S N2)の反応自由エネルギー曲面の決定,ケト−エノール互変異性化反応への溶媒効果の研究など が含まれる。平成10年度の課題研究のもうひとつの成果は極性溶媒のダイナミックスおよびその中のイオンの運 動に対する溶媒の摩擦抵抗に関わるものである。その中でわれわれは溶質の化学変化に対する溶媒の動的な影響 を溶媒の集団的な揺らぎの応答としてとらえる新しい概念を提案した。この概念は溶液内化学反応を「反応経路 に沿った溶質のブラウン運動とみなす理論」を発展させる上で鍵となるものである。

参照

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